しかしこの子は「ま」と「め」の基本形はしっかりと心得ているのです。左の硬筆作品をご覧になればお分かりいただけるでしょう。ところがこの子がひとたび太い筆をもって墨をたっぷり含ませて半紙に向かったら 、前ページの「まめ」のような作品が書けてしまったのです。もちろん大人の書いた手本をみて書いたものではありません。無心に半紙に向かった結果なのです。筆で書いたからこそ生まれた「表現」といえましょう。子どもの純粋な気持ちがあふれるように現れています。上手、下手を超えて子どもの姿そのものが現われていると思うのです。
こんな子どもの心が豊かに表現されたものに児童画がありますね。子どもの書く絵は決して大人のまねではありません。子どもの絵の展覧会では子どもの心が自由に描かれているかの観点で評価されているように思います。
この観点を毛筆書にも取り入れようというわけです。児童画に対するに「児童書」という立場を確立していきたいと考えます。
子供が年々成長していくに従いその子の書も年々成長していきます。あたりまえのことですがこれまでの習字教育、書道教育では看過されてきたといわざるをえません。
毛筆による自由な表現を育てるとともに、正しく整った文字の学習も幼少時からしっかり進めなければなりません。しかしこれは、毛筆ではなくて鉛筆などの硬筆で習得させるのが効果的です。わざわざ整正な文字を書くのに最も難しい毛筆を使う必要は全くないといえましょう。本協会は整正な文字の学習は硬筆で、自由な表現は毛筆でと主張しているわけです。
さて、近時少子化の影響で書に親しむ子どもの数は減少傾向にありますが、逆に一般社会人の方々の書道熱は高まりを見せています。それに応えるべく本協会は幅広い活動を展開しています。特に子どもの書の育成を 目指す趣旨に沿い大人もまねごとではない「自分の書の確立」を標榜しています。
一般の方々が書道を始めよう、書を楽しみたいとスタートされる動機はさまざまだろうと思います。「結婚披露宴の受付で芳名録に書く時に恥をかかないように」から「全国展で華々しく 入賞できるよう」など。
いずれにしても入門した師匠から手本をもらいそれを習うことから始まるのが通例かと思います。だから多くの人々は書道とは「手本を習う」ことと心得ているのだと思われます。これはおそらく小学校の書写の学習以来の固定概念をしからしめる結果といえましょう。
そんな仕方でスタートしたとしても、早晩自立して自分の個性を発揮した書が書けるようにならなくてはいけませんね。全国展で入賞をねらう人が相変わらず師匠の手本を頼りにしているなどとの風評を耳にするにつけ書道界のえせ芸術ぶりに恥ずかしくさえなります。
本協会はそんな書道から訣別して「自分の書を確立」することを目指してさまざまな試みを打ち出しているところです。大上段な口吻ながら「日本の書に未来を」と訴えたいと思います。
▼戻る
滋賀県書道協会に掲載の記事・写真および図版の無断転載を禁じます。